金・原油はイラン情勢次第の展開へ―海峡封鎖で持久戦の5月
はじめに
2026年2月28日に米国・イスラエルがイランへの大規模攻撃を開始してから2ヶ月以上が経過しました。イランによるホルムズ海峡の事実上の封鎖は世界のエネルギー市場に激震をもたらし、原油価格はブレント原油で一時1バレル120ドル近辺まで急騰しました。
一方、伝統的に「有事の安全資産」として買われるはずの金(ゴールド)は、戦争開始後にむしろ下落するという異例の展開を見せています。5月に入り米イラン間で和平合意に近づいているとの報道が流れる一方、交渉は依然として難航しており、金・原油の両市場はイラン情勢の行方に一喜一憂する展開が続いています。
本記事では、原油と金のそれぞれが置かれた市場環境を整理し、停戦と対立激化の2つのシナリオに基づいて5月以降の見通しを分析します。
原油市場を取り巻くホルムズ海峡の危機
史上最大級の供給途絶とその衝撃
ホルムズ海峡は世界の石油供給量の約20%、LNG(液化天然ガス)の約17%が通過する、エネルギー輸送の大動脈です。イランは3月2日にホルムズ海峡を通航する船舶への攻撃を警告し、事実上の封鎖状態に突入しました。4月25日時点で海峡を通過する船舶は1日あたり3〜5隻にとどまり、戦前の60〜140隻と比較すると壊滅的な水準にあります。
ブレント原油は戦争開始以降55%超の上昇を記録し、ピーク時には1バレル120ドル近辺に達しました。4月8日の一時停戦合意を受けて一度は94ドル台まで下落したものの、その後の交渉難航を背景に再び上昇し、4月末には106ドル台に戻しています。5月6日には米イランの和平合意が近いとの報道を受けてブレント原油が一時6.7%安の102ドル台まで急落するなど、相場は地政学ヘッドラインに極めて敏感な状態が続いています。
OPECプラスの増産と「出荷できない」矛盾
こうした供給危機に対して、OPECプラスは5月に日量20万6,000バレルの増産で合意しました。しかし、問題は増産しても湾岸地域から原油を出荷できないという構造的な矛盾にあります。サウジアラビアやUAEの主要積出港はホルムズ海峡の内側に位置しており、海峡が封鎖されたままでは増産分を市場に届けることが困難です。
サウジアラビアには紅海側に抜ける東西石油パイプライン(輸送能力・日量500万バレル)、UAEにもインド洋側に直結するパイプライン(同150〜180万バレル)が存在しますが、これらを合わせても従来の海峡経由の輸送量を完全にカバーすることはできません。
さらに、UAEが5月にOPECからの脱退を表明するなど、産油国間の協調体制そのものにもひびが入りつつあります。市場はOPECプラスの増産決定よりも、ホルムズ海峡の実質的な通航状況を重視する構図が鮮明になっています。
「有事の金」が機能しなかった背景
ドル高とインフレ懸念が金を圧迫
地政学リスクの高まりは通常、安全資産としての金への資金流入を促します。しかし今回のイラン戦争では、金は戦争開始後に約13〜15%下落するという逆説的な動きを見せました。
その最大の要因はドル高です。中東危機の深刻化に伴い、世界の投資家はドル建て資産への逃避を強め、ドルの独歩高が進行しました。金はドル建てで取引されるため、ドル高は金の割高感を生み、とりわけ新興国の投資家にとって購入コストの上昇につながります。
もう一つの重要な要因は、インフレ圧力の高まりに伴う金利見通しの変化です。原油高がインフレを加速させるとの懸念から、米連邦準備制度理事会(FRB)が金利を据え置き、あるいは引き上げる可能性への警戒が強まりました。金利の上昇は利息を生まない金にとって逆風となります。
通貨・金利の力学が地政学リスクプレミアムを上回る構図
通常の地政学リスクイベントでは、金は短期的に買われた後に落ち着くというパターンが一般的です。しかし今回は、紛争の長期化そのものが金にとってマイナスに作用するという異例の展開となっています。
紛争が長引くほど原油高が定着し、インフレ懸念が根強くなり、中央銀行の利下げ余地が狭まります。FRBは2026年に利下げを実施する見通しでしたが、イラン戦争によるインフレ押し上げ効果は米国のヘッドラインインフレ率を0.6ポイント程度引き上げるとダラス連邦準備銀行が試算しており、利下げのタイミングは後ずれする可能性が高まっています。
市場関係者の間では「有事のドル買い」が「有事の金買い」を上回る構図が定着しつつあるとの指摘が出ています。
5月以降の2つのシナリオ
停戦合意が成立する場合――原油安・金高のパターン
5月3日、トランプ大統領はイランが提示した最新の和平案を検討すると表明しました。イラン側の提案にはホルムズ海峡の再開、米国による海上封鎖の解除、そして1ヶ月の期限を設けた停戦交渉が含まれているとされています。
仮に合意が成立しホルムズ海峡が再開されれば、原油価格は急落する可能性があります。4月中旬にイラン外相がホルムズ海峡再開に言及した際には、WTI原油が一日で11%超の急落を記録しました。本格的な合意となれば、ブレント原油は80〜90ドル台まで調整する余地があるとみられます。
一方、原油安はインフレ圧力を和らげ、FRBの利下げ期待を復活させます。金利低下見通しとドル安はいずれも金にとって追い風であり、金が上昇に転じるシナリオが浮上します。J.P.モルガンは年末の金価格について強気な見通しを示しており、停戦合意はそうした上昇軌道を後押しする材料になり得ます。
交渉決裂で持久戦が続く場合――原油高・金は綱引き
しかし、交渉のハードルは依然として高い状態にあります。米国はイランにウラン濃縮の停止と兵器級物質の引き渡しを要求しているのに対し、イラン側はホルムズ海峡の支配権の維持と米国による制裁の全面解除を求めています。CNNの報道によれば、トランプ大統領のSNS投稿が合意目前の交渉をぶち壊しにした場面もあり、両国間の溝は深いままです。
持久戦が続く場合、原油はブレント100ドル超の高止まりが継続し、供給逼迫が深刻化すれば日本総研が指摘するように140ドルへの急騰リスクも排除できません。金については、地政学リスクプレミアムの積み上がりと、インフレ加速に伴う金利上昇リスクが綱引きとなり、方向感の出にくい展開が想定されます。
特に注視すべきは、紛争の長期化が世界経済の減速を招く場合です。景気後退懸念が強まればFRBは利下げに動かざるを得なくなり、結果的に金にとっては追い風に転じる可能性があります。
日本経済への波及と投資家が注視すべき指標
家計を直撃するエネルギー価格の上昇
日本は原油輸入の約9割を中東地域に依存し、そのほとんどがホルムズ海峡を経由しています。封鎖の影響はすでに顕在化しており、レギュラーガソリンの店頭小売価格は3月2日の1リットル158.5円から、わずか2週間で190.8円まで急騰しました。
石油備蓄について、日本は国家備蓄と民間備蓄を合わせて約200日分の在庫を保有していますが、封鎖が夏まで長期化した場合、8月にも枯渇するリスクがあるとの分析も出ています。LNGは物理的に長期備蓄が困難であり、電力・ガス分野への影響も懸念されます。
今後の注目ポイント
市場参加者が特に注目すべき指標は以下の通りです。第一に、米イラン間の停戦交渉の進展状況です。トランプ大統領やイラン側の発言は原油価格を一日で5〜10%動かす力を持っており、ヘッドラインリスクへの警戒が欠かせません。
第二に、ホルムズ海峡の実質的な通航状況です。1日あたりの通過船舶数や、代替パイプラインの稼働状況が、供給回復の先行指標となります。
第三に、FRBの金融政策スタンスです。原油高によるインフレ圧力と景気減速リスクの板挟みの中で、FRBがどちらを重視するかが金の方向性を左右します。
まとめ
5月の金・原油市場は、イラン戦争の行方に全面的に支配される展開が続いています。原油はホルムズ海峡の封鎖が続く限りブレント100ドル超の高止まりが見込まれ、停戦合意があれば急落、交渉決裂なら一段高というシンプルな構図です。
金はより複雑です。「有事の金買い」というセオリーが今回は機能しておらず、ドル高とインフレに伴う金利見通しが金を抑圧しています。停戦合意による原油安とインフレ圧力の後退がむしろ金にとっての買い材料となるという、通常とは逆転した力学が働いています。いずれのシナリオにおいても、FRBの金融政策の方向性が金の中期的なトレンドを決める鍵となるでしょう。
参考資料:
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